南相馬には南相馬にのみ適用しうる復興が必要

昨日、2月11日(祝)に、南相馬世界会議2012を開催し、無事終了しました。

詳細はUstreamの内容をご確認ください。
http://www.ustream.tv/channel/minamisoma-wc-ch1

原発災害により「心」「文化」「経済」の全てをいったん失いつつあった南相馬とその近隣ですが、今後、住民による住民のための復興こそ必要であるということが強く示された会議でした。

政府や自治体からの復興がもたらされるのを待つのではなく、これまでの野馬追文化圏が持つ歴史的背景と必然性をふまえて、住民が自律的に復興を創りだしていくことにこそ、南相馬における本当の復興となる、ということを明らかにしました。

そのための今後の具体的な行動として、

・小高地区も含めた野馬追の完全開催
・そのための小高神社再建とその周辺への立入を可能化
・野馬追祭場の計測と浄化
・子供たちの遊び場の浄化と創出
・新しい経済活動の創出と誘致

これらのことから、除染およびその技術開発はそれ自体を目的とするのではなく、復興の手段として住民主導で進めて必要があることを確認しました。

今回の開催にあたりご尽力いただきました、南相馬の皆さん、市長や市役所の皆さん、被災地外のボランティアの皆さん、ウエブサイトからボランティアへの申請をして下さった皆さんに、心から御礼申し上げます。

不慣れな運営上、不手際や対応の遅さなどが生じてしまったことを心からお詫び申し上げるとともに、今後30年に渡る「記憶と記録」を残していく事へ引き続き力を貸していただけますようお願い申し上げます。

また、企業や被災地外の方々には、先進国としての日本が「原発災害とその克服の現状」を報告するということに対して責任をまっとうできるよう、賛助金へのご支援などを通じて引き続きご協力をいただけますよう重ねてお願い申し上げます。

ありがとうございました。

 

南相馬世界会議実行委員会
実行委員長 石丸雄嗣

 

原町区大甕字坂下在住の女性(70歳)より 南相馬/「記憶と記録」 No.0010

(2012年1月16日 市役所ポストから投稿受理)

南相馬/「記憶と記録」 No.0006~0010<PDF> 

 

<「記憶と記録」事務局より>
南相馬世界会議2012では、原発災害の体験談を「記憶と記録」として集めています。全世界に南相馬で起こったことの現状を伝え続け、 今後30年以上に渡る復興への記録とするためです。

これらのテキスト化や英語・ドイツ語・フランス語など多言語化へのご協力もお願いしています。詳しくはこちらのページをご覧ください。

⇒ 伝えたい記憶、残したい記録、知りたい事実を集めてください。

原町区仲町在住の女性(67歳)より 南相馬/「記憶と記録」 No.0009

(2012年1月16日 市役所ポストから投稿受理)

南相馬/「記憶と記録」 No.0006~0010<PDF> 

 

<「記憶と記録」事務局より>
南相馬世界会議2012では、原発災害の体験談を「記憶と記録」として集めています。全世界に南相馬で起こったことの現状を伝え続け、 今後30年以上に渡る復興への記録とするためです。

これらのテキスト化や英語・ドイツ語・フランス語など多言語化へのご協力もお願いしています。詳しくはこちらのページをご覧ください。

⇒ 伝えたい記憶、残したい記録、知りたい事実を集めてください。

原町区上北高平在住の女性(61歳)より 南相馬/「記憶と記録」 No.0008

(2012年1月16日 市役所ポストから投稿受理)

南相馬/「記憶と記録」 No.0006~0010<PDF>  

<「記憶と記録」事務局より>
南相馬世界会議2012では、原発災害の体験談を「記憶と記録」として集めています。全世界に南相馬で起こったことの現状を伝え続け、 今後30年以上に渡る復興への記録とするためです。
これらのテキスト化や英語・ドイツ語・フランス語など多言語化へのご協力もお願いしています。詳しくはこちらのページをご覧ください。

⇒ 伝えたい記憶、残したい記録、知りたい事実を集めてください。

鹿島区小池字原畑(仮設住宅)在住の男性(74歳)より 南相馬/「記憶と記録」 No.0007

(2012年1月16日 市役所ポストから投稿受理)


南相馬/「記憶と記録」 No.0006~0010<PDF>
  

<「記憶と記録」事務局より>

南相馬世界会議2012では、原発災害の体験談を「記憶と記録」として集めています。全世界に南相馬で起こったことの現状を伝え続け、 今後30年以上に渡る復興への記録とするためです。
これらのテキスト化や英語・ドイツ語・フランス語など多言語化へのご協力もお願いしています。詳しくはこちらのページをご覧ください。

 

⇒ 伝えたい記憶、残したい記録、知りたい事実を集めてください。

 

 

 

原町区市原町区三島町在住の男性(70歳)より 南相馬/「記憶と記録」 No.0006

(2012年1月16日 市役所ポストから投稿受理)

南相馬/「記憶と記録」 No.0006~0010<PDF>  

 

<「記憶と記録」事務局より>
南相馬世界会議2012では、原発災害の体験談を「記憶と記録」として集めています。全世界に南相馬で起こったことの現状を伝え続け、 今後30年以上に渡る復興への記録とするためです。
これらのテキスト化や英語・ドイツ語・フランス語など多言語化へのご協力もお願いしています。詳しくはこちらのページをご覧ください。

⇒ 伝えたい記憶、残したい記録、知りたい事実を集めてください。

 

原町区長野字杢正内在住の女性(65歳)より 南相馬/「記憶と記録」 No.0005

(2012年1月18日 市役所ポストから投稿受理)

原町区長野字杢正内在住の女性(65歳)より 南相馬/「記憶と記録」 No.0005<PDF>

 

<「記憶と記録」事務局より>
南相馬世界会議2012では、原発災害の体験談を「記憶と記録」として集めています。全世界に南相馬で起こったことの現状を伝え続け、 今後30年以上に渡る復興への記録とするためです。

これらのテキスト化や英語・ドイツ語・フランス語など多言語化へのご協力もお願いしています。詳しくはこちらのページをご覧ください。

⇒ 伝えたい記憶、残したい記録、知りたい事実を集めてください。

 

原町区在住の女性より 南相馬/「記憶と記録」 No.0004

(2012年1月16日 メールでの投稿)
南相馬世界会議2012実行委員会御中

実行委員会の皆さまお疲れ様でございます。
南相馬市原町区在住の番場さち子です。
東大の上教授に乞われて、震災の夜の出来事を書きました。
MRICと「凄く影響力のあるメルマガで経済界・金融界では知らない人はいません。」と言われたJMMに掲載されたものを転送いたします。
なにかお役に立つことがあればお使いください。
番場さち子

 
———- 転送メッセージ ———-
From: JMM(Japan Mail Media)
日付: 2011年12月30日12:06
件名: [JMM668Ex] from MRIC
To:
2011年12月30日発行

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JMM [Japan Mail Media]              No.668 Extra-Edition
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■from MRIC

□ 3.11の夜…南相馬にて

■ 番場さち子(ばんばさちこ):福島県南相馬市原町区在住
わかば塾・番場塾・番場ゼミナール塾長
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■from MRIC
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3.11の夜、私は自宅近くの南相馬市立総合病院に逃げ込んでいた。午後2:46、私は

教室のコピー機の前で、その日に行う単語テストの印刷を始める矢先だった。スリッ

パのまま、外へ飛び出し、隣に住む大家さんご夫妻と地震がおさまるのを待った。

長い地震だったが、教室周辺の民家は、さほどの被害も見当たらないので、これがま

た来ると噂されていた宮城県沖地震かと、その程度の認識だった。自宅の様子も見て

きたら?という大家さんの言葉で我に返り、自宅周辺の様子を見に車を走らせた。後

々知ったことだが、あのまま真っすぐ車を走らせていたら、私も津波に巻き込まれて

いた。たまたま偶然、右に曲がったことで、私は生かされた。

大学生の元生徒達が、大震災直後「先生、大丈夫か?」とすぐさま駆けつけてくれ、

壊滅的だった我が家の片付けを手伝ってくれていたが、夜は一人ぼっちになった。子

ども達の気持ちが有難かった分、孤独感が募る。余震が頻繁に襲い、家に居るのが怖

い。運悪く、母親は松島に旅行中で、父親は実家の伯父家族が行方不明となり、わず

かな望みを託して、避難所を捜し回って帰って来ない。消防団の車が「津波警報が出

ました!避難してくださーーい!」と巡回して叫んでいる。津波で家もなくなり、防

風林もなくなり、遮るものがなくなって、波の音が我が家まで聞こえる。

市立病院の薬局前のソファーを陣取って、私はテレビの映像に見入っていた。診察室

前の長椅子は撤去され、ブルーシートやマットが一面に敷かれていた。津波に遭遇し、

泥の中から救助された患者が、次々に運び込まれてくる。目を覆いたくなるようなド

ロドロの患者が運び込まれる毎に、(これは大変なことになった…)と、私の体は恐

怖で震えた。テレビに映る映像が、目の前に起こっている。本物を見ているのか、夢

を見ているのか…次々に起こる想像を絶するシーンの続出に、私の頭の中は冷静では

いられなくなった。

行方不明者を捜して、病院を訪ねてくる親戚縁者もあとをたたない。市立病院内はご

った返していた。会う人、会う人、お互いに「生きてたーー!?」と肩を抱き合い涙

をこぼしていた。

市立病院で働く看護師の中に、生徒の母親がいた。私の姿を見つけて駆け寄り「子供

たちが心配です。」と涙を浮かべた。あの時間で良かった…きっとアヤカとユウトは

学校で保護されているだろう…と私は子どもたちの無事を祈った。「母親なのに、そ

ばにいてやれない。不安でたまらないと思う…母親失格です。」とこぼされた。いや

いや、あなたがこうして気丈に働く姿を、子どもたちは誇りに思うでしょう。私が見

届けたことを話してきかせましょう…私はそうつぶやいて、彼女の手際の良い働きぶ

りに感動さえ覚えて見届けていた。

お手洗いに行こうと席を立った時、廊下の端にうずくまって泣いている女性の姿が目

に入った。あまりにも小さく、消え入りそうな姿に、最初は誰なのかわからなかった。

その女性は、私を見つけると、私にしがみついて泣きじゃくった。ユウヤとカイトと

リュウトの母親だった。嗚咽を漏らしながら切れ切れに話す内容は、おばあちゃんを

含めた4人が津波にあい、長男のユウヤの遺体が発見された。原町高校の体育館が遺

体安置所となり、そこに運ばれたということだった。

すべてを失い、「子供たちを追いかけて、私も死にたい…」と慟哭するお母さんを抱

きしめながら、私は言葉を失っていた。返す言葉が見つからない。安易な言葉では慰

めてあげることなどできない。一度に3人の子どもと母親を失ったと言うのだ。しか

し私は涙も出なかった。あまりに唐突過ぎて、実感にならない。ユウヤが死んだ?

3人はその日、3時半に教室に来る約束になっていたのである。地震のあと、ユウヤは

弟二人を学校に迎えに行き、一度自宅に戻ってしまったために津波にあった。そのま

ま教室に来ていれば、3人とも助かったのに…と考えると、今も悔やまれる。待ち合

わせを3時にしておけば…と今でも後悔する。

3.11は、福島県の中学校の卒業式であった。たくさん通っていた中学三年生たちに
「卒業式、絶対見に来てね!」と望まれて、午前中は卒業式に参加していた。私のデ

ジカメは、卒業式の子どもたちの誇らしげな笑顔から、いきなり悲惨な震災で破壊さ

れた現場写真へと変わる。卒業式に、おめでとうと握手して別れた子が、2時間後に

は津波で帰らぬ人となった。

翌日の3.12から、私の携帯には様々な生徒や保護者からメールや電話が入った。「先

生、さようならーー!!!また会いましょう。お元気でね。」「先生も早く逃げてく

ださい!!」「東京に行くことになりました。またいつか会いたいです。」 涙でさ

よならを言う生徒や保護者たち。私には一体何が起こっているのかさっぱり理解でき

ていなかった。3.13の夜中に「うちはもう帰って来ないつもりで南相馬を出るよ。先

生は居ていいのか?」と生徒から電話をもらっても、津波を避けて小学校の避難所に

いた私には、なにがそんなに大変なの?と、状況がわかっていなかった。

近所のご主人が深夜遅くに慌てて訪ねて来た。慌てふためいている。「原発に勤務し

ている友人から聞いた。危険らしい。逃げよう。」「大熊町の住民は、茨城交通のバ

スが迎えに来て、着の身着のまま避難させられたんだって。」「メルトダウンが起こ

ってるかも…」めるとだうんってなに???一度に聞かされても、混乱した私の頭で

はすぐに理解できない。

地元に住む我々は、原発は安全だと言われてきたのである。心配ないと聞かされてき

たのである。それが突然、危険だ!逃げろ!と言われても、なにを優先させればいい

のかわからない。しかもあの原発は、関東へ送るための電気を作っているのである。

我々地元民には関係ない。なぜ逃げねばならぬのだ?不安におののきながらも、まさ

か国が、政府が、住民を見捨てることはあるまい。避難命令がでるまで様子を静観し

ようと覚悟した。

ところが30キロで線引きされたことで、南相馬には誰も近づこうとしなくなった。壊

れたパソコンの修理を頼んでも、社員を30キロ圏内に入れるわけにはいきません、と

断られた。 物資も入って来ない。宅配便も郵便も配達されなくなった。そして町は

人の気配もなくなってしまった。

我々海沿いの住民は、津波が恐かったのである。泥沼化した海や田畑で、腰まで泥に

はまると身動きがとれない。泥の中で立ったまま救助を待って、生き延びた人も、そ

の状態で力尽きていた人もいた・・・と消防団の若者から聞かされた。

どんなにもがいて救出を待ったのか…どれだけ苦痛の中で救助を待ち望んだのか…放

置された数日間の例えようのない恐怖…想像するだけで、胸が張り裂けそうな恐れに

も似た思いが募る。放射能の騒ぎがなかったら、30キロの線引きが違う形で公表され、

SPEEDIが速やかに発表されていたら、救助が間に合い助かった命もあったかもしれな

い。そう思うと心が痛い。この痛みを、この怒りを、どこにぶつけたら良いのかわか

らぬまま、9ヶ月が過ぎた。

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<「記憶と記録」事務局より>
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原町区高倉字志津在住の女性(41歳)より 南相馬/「記憶と記録」 No.0003

(2012年1月14日 FAXでの投稿)

原町区高倉字志津在住の女性(41歳)より<PDF版> 南相馬/「記憶と記録」 No.0003

 

<「記憶と記録」事務局より>
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